トースターが教えてくれたこと

ずっと冷蔵庫の上に電子レンジを置いてその上にトースターを置くというブレーメンの音楽隊みたいな置き方をしていたんだけど、震災の時に危ない危ないと言われ始めてからずーっと心のすみで気になってはいた。

地震がきたらトースターがまず頭の上に落ちて、電子レンジが飛んできて冷蔵庫が倒れてきて、もしキッチンにいたらすぐしぬなと思っていた。

でもせまい一人暮らしのキッチンにはほんとうに場所がなくてそのままにしていた。

この前久しぶりにトースターの掃除でもするかと床に降ろしたところ、無印の真っ白なトースターの上部はほこりでうっすらと霜降りのグレーになっていた。しかも拭いても取れない。なんだかホコリと一体化している。

力を入れて擦っても消しゴムカスみたいなものがパラパラ落ちるだけだ。

ものを持てば持つほど、こうやって掃除したり(6年ぶりだけど)手入れしたり置き場所に困ったりしなくてはいけない。そういうのがすきな人ならいいけどわたしはすきじゃないなー。

大体たまにからあげの表面をカリッとさせるか、パンを焼くか、2年に一回くらいココットを使った料理をする時以外使ってないじゃないか。トースターって必要かしら?いらないんじゃないか?

でもからあげはカリッとさせたい。たまになすとチーズを乗せたトースト食べたい。

待って、でもそれくらいならフライパンでできるんじゃない?でも2年に一回ココットでグラタン作りたくなったらどうする?ネットで調べると魚焼きグリルでできるらしい。

なんだ、トースターいらないんじゃん。

・・・捨てようか。

粗大じゃなくて不燃ゴミで出せるようだし。

大体トースターなんて専門性が高すぎる。無ければないで何とかなるものだ。

と言うようなことをここ数日で少しずつ考えていた。

優柔不断なわたしはトースターの処分をまだ決めていない。が、トースターはレンジの上には戻らず、床の上に置かれたままで、何となく、月末の不燃ゴミの日を待っている。

冷蔵庫やシンク下の扉の開閉の邪魔にならないよう、キッチンのど真ん中に灰色のトースターは居る。

否応なく目に入るトースターを見るたび、ここ数日のわたしはトースターをどうするか考えるともなく考えていた。

きっとトースターが無ければ、使わないで済む別の料理をしてそれをわたしは好きになるだろう。でもどうしても焼き目をつけたいときはどうしよう?ネットで調べた。フライパンで焼いたり魚焼きグリルで代用できると書いてある。

そうかー、じゃあ、もう良いかな。


トースターじゃなくて他のものでも、電子レンジや冷蔵庫や洗濯機だって、たぶん無ければ無いでどうにかはなるだろう。そして無いことに慣れて、無いのが当たり前になって、不自由さえも感じなくなるだろう。大体うちにはテレビが無いけど、不便を感じることもない。実家に帰ったら反動でずっと見るけど。世界ネコ歩きとか。でもこのアパートでは見たいと思うことは全然ない。

もう慣れたのだ、無い生活に。

大体、これが無いと死んでしまう物なんて無いのだ。

人もそうだ。この人がいないと死んじゃう人なんて、居ない。だってその人に会う前は居なかったのだから。

いや1人だけいる。この人が居ないと死んじゃう人。

それは自分だ。

自分がいなくなったら死ぬ。確かに。

自分は居ないといけない。捨てたらいけない。例えどんなにめんどくさくても、メンテナンスが大変でも、置き場所に困っても。

そしてできれば、よく使い込んで、汚れたらまめに磨き、ホコリと一体化して灰色にならないように心がけることができれば良い。いつかは素敵な味が出て、ヴィンテージみたいになるかもしれない。


トースターよ、6年間ありがとう。

とか言ってまだ捨てないかもしれないけど。優柔不断だから。